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レビュー/BT/1995 高速道路や電車の橋桁の下。ふだん、われわれはその表面(上部構造)を利用しながら、その土台(下部構造)をあまり見ないし、その意味を考えたりしない。先の阪神大震災は、はからずもその土台を白日のもとにさらしてしまった。裏こそが表を支える根源、基本であること。田中は、そうした「裏」空間や超音波など、ふだんわれわれが意識しない「ノイズ」的なものに魅せられた作家なのである。 音を使った作品を得意とする田中の今回の発表作は、彼がここ十年にわたって撮りためたモノクローム写真(正しくは写真のコピー)インスタレーションである。それはふたつのシリーズで、一方が高速道路の橋桁の下、橋脚を撮影したもの、他方が空や地面を撮ったものである。それが五十点づつ壁面に並び、向かい合う。ほの暗いモノクローム写真のコピーが、この画廊のコンクリートの壁面に並び一点のライティングの明かりによって浮かび上がるとき、それはひじょうに幻惑的である。互いに並ぶ写真は、撮影場所も、撮影の日時もいっさい異なる。共通するのは橋桁や空というモティーフのみである。空はスティーグリッツなど数多くの作家を魅了したモティーフだが、橋桁と対峙させることで、もはや美しく変化する自然の姿ではなく、日常生活を包む背景、周囲という記号にとなっている。そしてその記号たちは一点づつの解釈を拒み、総体として知覚されることを求める。
「見る行為とは直接的視線の連続ではなく、記憶された視線の断片といままさに知覚されている世界との総体であり、記憶・再生・知覚が同時に起こっている事実である」と作家はいう。この会場では彼の十年間の「視線の断片」を併置することで、視覚から認識へ道のりが示されているのだ。それは「見る」ということが「ノイズ」のように通り過ぎる日常の出来事と経験の束であることをわれわれに実感させるのである。
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