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略 歴
椹木 野衣/2002
浅田 彰/2002
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倉林 靖/1997
倉林 靖/1996
浅田 彰/1996
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林 洋子/1995
倉林 靖/1995
倉林 靖/ 1993


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レビュー/エスクワイヤ 16/2002.2



零度のアウラ――田中隆博の白い部屋



 何の変哲もない普通の部屋。ただ、目も眩むように白い。その白い部屋の白い壁に、ドア・ノブを映した小さめの写真が二つ並んでいる。これまた何の変哲もないドア・ノブ。ただ、それがあまりに厳密に撮影され、一分の隙もない鉄のフレームに収められて、完璧なバランスで展示されているので、それは日常的なオブジェの位置を脱し、人間的な感情移入とは限りなく遠いところで、放射能のようなものを放っているかにさえ感じられるのだ。私は、白い部屋の中で、そのドア・ノブの写真に向き合ったまま、茫然として立ち尽くしていた……。

 田中隆博の作品について語るのは難しい。そこには、意味ありげな主題もなければ、個性的な語り口もない。彼はただ、機械のように精確な目と化して、無表情な世界の細部を見つめ、写し取り、作品化するだけだ。しかし、そのすべてのプロセスが徹底して厳密に行なわれるので、作品からは「零度のアウラ」といったものが立ち上ってくるのである。

 たとえば、ドア・ノブの写真の左手の壁には、白い印画紙――いわば「零度の写真」が一点だけ展示されているのだが、その写真の中央には、ほとんど見えるか見えないかという極細の切断線が走っている。そして、ドア・ノブの写真の右手の壁には、それと対応して、やはり白い印画紙がこんどは二点展示されているのだ。これらの作品のほとんど戦慄的とさえ言ってよい冴え冴えとした迫力は、こんな記述では絶対にわからないだろうし、写真図版でもほとんど伝わらないだろう。それを体験するには、実際にこの白い部屋の中に立つ必要がある。だが、それは、これらの作品が、ある意味でもっとも正統的な美術作品であることの証しではないだろうか。


 この展覧会では、路面を写した写真をリトグラフにした一連の作品も展示されている。それについても同じことが言えるだろう。厳密に世界を見つめ、写し取る――ただそれだけのことからここまで高水準の美術作品をつくりだす田中隆博を、私はもっともすぐれた現代美術作家のひとりと断定する。



浅田 彰 (社会思想史)